1987年から2006年まで、さだまさしさんが長崎で開催していた野外コンサート、「夏・長崎から」。
私の母は、さだまさしさんのファンで、「定年になったら、あのコンサートに行きたい」とよく言ってました。
でも母は、定年の日の1ヶ月ほど前に、この世を去りました。
それ以降、「夏・長崎から」の開催のニュースを見聞きするたび、私の心は鈍く痛みます。
父は既に長期入院中でしたが、急変するような状態でもなかったので、行こうと思えば行けたはず。
実際、大阪で開催のさださんのコンサートには、何度か足を運んでましたから。
60才の定年を迎えることは、母の人生にとって大きな区切りだったのでしょう。
新しい人生のステージが定年後に始まる、楽しみはそれから、と思っていたのかもしれません。
それでも、どうして、すぐに行かなかったんだろう。何もかも、後回しにしたんだろう。
「そんなに行きたいなら行ってこい!」って、私が段取りして送り出すか、私が同行すればよかったのです。しかし当時の私は、そういう気遣いが全くできなかったし、思いつきもしませんでした。
私はきっと、母のことを見ているようで、何も見ていなかったのでしょう。見ようとしていなかったのかもしれません。
行きたいと思った時が行き時なのに、「定年後」という縛りを自分に課した母。
母の望みをふわふわと聞き流していた、20代だった私。
もし、思い切って長崎まで行って楽しそうだったなっていう「事実」が、母に関する思い出のひとつだったなら、私はこんな鈍い痛みを抱え続けずに済んだのに。
私達母娘は、救いようのないバカです。
先日、久しぶりに「夏・長崎から」が開催され、また鈍い痛みがよみがえりました。
もう母が亡くなって、30年以上も経ったのに。
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