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2004年から2009年まで更新していたブログ「今週のすぎやん」の内容を抜粋・修正し、ブログには書ききれなかった作者の思いや後日談なども新たに書き下ろしたエッセイ。

鈍い痛み。

供花 両親
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1987年から2006年まで、さだまさしさんが長崎で開催していた野外コンサート、「夏・長崎から」。
私の母は、さだまさしさんのファンで、「定年になったら、あのコンサートに行きたい」とよく言ってました。
でも母は、定年の日の1ヶ月ほど前に、この世を去りました。

それ以降、「夏・長崎から」の開催のニュースを見聞きするたび、私の心は鈍く痛みます。

父は既に長期入院中でしたが、急変するような状態でもなかったので、行こうと思えば行けたはず。
実際、大阪で開催のさださんのコンサートには、何度か足を運んでましたから。

60才の定年を迎えることは、母の人生にとって大きな区切りだったのでしょう。
新しい人生のステージが定年後に始まる、楽しみはそれから、と思っていたのかもしれません。

それでも、どうして、すぐに行かなかったんだろう。何もかも、後回しにしたんだろう。

「そんなに行きたいなら行ってこい!」って、私が段取りして送り出すか、私が同行すればよかったのです。しかし当時の私は、そういう気遣いが全くできなかったし、思いつきもしませんでした。
私はきっと、母のことを見ているようで、何も見ていなかったのでしょう。見ようとしていなかったのかもしれません。

行きたいと思った時が行き時なのに、「定年後」という縛りを自分に課した母。
母の望みをふわふわと聞き流していた、20代だった私。

もし、思い切って長崎まで行って楽しそうだったなっていう「事実」が、母に関する思い出のひとつだったなら、私はこんな鈍い痛みを抱え続けずに済んだのに。

私達母娘は、救いようのないバカです。

先日、久しぶりに「夏・長崎から」が開催され、また鈍い痛みがよみがえりました。
もう母が亡くなって、30年以上も経ったのに。

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