1986年と2002年は、「愛の嵐」の年。
1986年6月、ドラマ「愛の嵐」の放映がスタート。
平日昼間、3ヶ月にわたって毎日放送されました。
ちなみに、このドラマのヒットがきっかけで、後に「華の嵐」「夏の嵐」が生まれ、3本まとめて「嵐3部作」と呼ばれていました。
特に「華の嵐」は大ヒットし、「ごきげんよう」という流行語まで生まれました。
3作品とも素晴らしいのですが、私は特に「愛の嵐」が気に入り、いつしかどっぷりはまりました。
後の再放送時に全話をビデオ録画し、何度も見返したものです。
初放映から16年経った2002年、自分のホームページのコンテンツのひとつとして、「愛の嵐」考察を、何の気なしに書き始めました。
ドラマを視聴した人にしか理解できないであろう、かなりマニアックな目線なので、誰かの反応を期待していたわけではありません。
ただただ、自分のハマったドラマのことを好きに書けるのが楽しくて、定期的に更新を続けていました。
その更新のさなか、「愛の嵐」のリメイク版「新・愛の嵐」放映がスタートするという、偶然にしてはできすぎているほどの奇跡が勃発。
しかし、放映開始後しばらくすると、私がホームページに設置していた掲示板に、旧・愛の嵐ファンが怒りの形相で、怒濤のごとく押し寄せてくるようになったのです。
旧作の世界を愛している人たちにとって、リメイク版の内容は、耐えがたいものだったのですよ。
私が書いた「愛の嵐」考察への感想も寄せられ、ファンの方同士の交流も生まれ、掲示板は約半年ほど、愛の嵐ファンの方たちのサロン状態となりました。
楽しかったなあ。
2002年当時で、初放映から20年近く経過している昼ドラの話に食いついてくる人が、こんなにたくさんいらっしゃることに、本当にびっくり。
インターネットってすげー!って思いましたよ。
掲示板が日々盛り上がっている中、「愛の嵐」を全話収録したDVD発売が決定するという、さらなる奇跡が勃発!
長年待ち望んでいたので、そのニュースを知った時には、文字通り、狂喜乱舞しました。
「愛の嵐」ファンの私にとって、1986年は出会いの年、2002年は奇跡の年でした。
猛を演じて下さって、本当にありがとう。
嵐3部作の全てに主演されたのが、渡辺裕之さん。特に「愛の嵐」は、当時まだ無名だった渡辺さんの出世作のひとつでもあります。
ドラマでは、「川端猛」という役名だったので、私は渡辺さんのことを「猛」と呼んでいます。
ちなみに、「新・愛の嵐」にも、別の役柄で出演されています。
「愛の嵐」以来、渡辺さんは動向がとても気になる俳優さんのひとりでした。
渡辺さんの知名度がどんどん上がっていくのは、とてもうれしかった。ドラマ・映画・CMで見かけるたびに、「猛、頑張ってるなあ、いい作品に出演されているな」と喜んでいました。
奥様との交際も、最初からとてもオープンなもので、マスコミの取材にも気さくに答えておられた記憶があります。
結婚された時も、本当にうれしかったですし、おしどり夫婦ぶりが時折報道されるたびに、幸せな気持ちを抱いてました。
2022年5月5日、突然発表された訃報。
「なんで?」と何回言ったことか。
あまりに何度も「なんで?」と私がつぶやくので、ダンナから「知らんがな」とツッコミが入ったほど。
今でも心のザワザワは治まりませんし、「なんで?」という思いは拭えませんが、それはきっと誰にもわからないこと。
何か急ぎの用事ができたのでしょう。
でも、そんなに急がなくても良かったのにな。
渡辺さん、「愛の嵐」に出演し、全身全霊で猛を演じて下さって、本当にありがとうございました。
ドラマで妻の秀子役を演じられた芦川よしみさんと、長年交流を続けられていたこと、そして何より、「愛の嵐」をはじめとした嵐三部作の記憶を、長い間心に留め置いて下さったこと、エピソードを語って下さったこと、ドラマファンとして本当にうれしかったです。
「愛の嵐」のおかげで、ネット上でお友達もできたし、バズり体験もできました。
インターネットの楽しさも知ることができました。
ドラマの印象が強く心に残り、数十年経った今でも「猛」と呼ぶ、私のような存在は、役者「渡辺裕之」には、もしかしたら迷惑だったかもしれませんね。
ごめんなさい。
でも、最終回のラストシーンで見せた、猛とひかるの笑顔が、私は大好きなんです。
ふたりでフランスに行った後、白部村でワインを作っていたのかなって、想像するのが楽しいのです。
渡辺さん以外の猛は、考えられません。
渡辺さんが猛を演じて下さって、本当によかった。
「愛の嵐」を含め、渡辺さんが残された数々の作品を、今後も楽しませて頂きます。
長い間、本当にお疲れ様でした。
どうぞ、安らかに。
ご迷惑かもしれませんが、これからも、渡辺裕之さんのことを「猛」って呼ばせていただきますね。
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