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2004年から2009年まで更新していたブログ「今週のすぎやん」の内容を抜粋・修正し、ブログには書ききれなかった作者の思いや後日談なども新たに書き下ろしたエッセイ。

母への抗議。

供花 両親
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年明けに開催した古い写真の大処分祭りの最中、母に頼まれて私が撮影した、入院中の母の写真が数枚出てきました。
写っているのは、頭の手術痕、乳がん手術前の胸、傷跡がくっきり残る手術後の胸。

今から30年以上前、母は小脳にできた腫瘍の摘出手術を受けました。悪性で、乳がんの転移が原因と診断されました。
その数ヶ月後、完全に手遅れではあるが必要な措置だとの判断から、乳がんの摘出手術が実施され、母は右乳房を失いました。

写真撮影を頼まれた時、最初はためらいました。いったい私は何をさせられるんだって。
母の本心がわからぬまま、言われるがままシャッターを押しました。

そんな話を先日ダンナにしたら、彼はこう言いました。
「記録、やな。それに、娘にこんな思いをさせんように、という思いもあったんやろ」

もしそれが正解なら、私は全力で母に抗議したい。
本当に「娘にこんな思いをさせたくない」のなら、なぜさっさと診察を受けなかったんだ、って。
看護助手という立場ではあったけれど、病棟勤務が長く、様々な患者さんを見てきたはずだから、自分が乳がんだという予想は付いていたはずなのに、なんで放置したんだって。

母の闘病生活は、ちょうど1年。本当に辛そうでした。「定年まで勤めたい」という望みは叶わぬ夢となりました。
放置し続けた代償は、あまりに大きかった。

まあ、それが、母の生き様だとは思います。
でもそれに抗えないまま巻き込まれてしまい、心身ともに重いものを抱えざるを得なかった私の気持ちは、母にはきっとわかるまい。

私、ほんとにしんどかったんだよ。誰にも甘えず、全身全霊で私に依存するから、どこかに逃げてしまいたいと思ったこともあった。どうしていいかわからず、暗いトンネルの中を歩いているような、重たい重たい1年だったんだよ。
早めに診察を受けてくれていたら、お互いに、あんな過酷な1年を過ごさなくても済んだんだよ。

恨みとまではいかないけれど、それに近いような感情は今も忘れられず、ふとしたきっかけで噴出します。きっと、一生抱え続けるしかないのでしょうね。

もともと繊細な人だったので、命が尽きるかもしれないという不安を常に抱いてたと思います。
あの写真は、その不安を少しでも払拭し、「手術したからきっと治る」と自分を鼓舞するための材料にしたかったんじゃないかなと、今は思うようにしています。

先日、母の命日が巡ってきました。もう法要などは行いませんが、今年は33回忌に当たる年です。
命日当時は、雲一つない青空で、暖かい冬晴れの1日でした。

辛い思い出しかない写真なので、処分しようかと思ったのですが、結局手元に残しました。
それはたぶん、私自身のため。

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