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2004年から2009年まで更新していたブログ「今週のすぎやん」の内容を抜粋・修正し、ブログには書ききれなかった作者の思いや後日談なども新たに書き下ろしたエッセイ。

アルバムの整理を始めました。

アルバム 近況報告
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コロナで寝込んでいる間、バカバカしくて笑える動画をYouTubeで見たり、スマホゲームにコツコツ取り組んだりして過ごしていたのですが、あれこれ考える時間もたくさんありました。

ちょっとしたことがきっかけで、坂道を転がるように状態が悪くなり、あっという間に亡くなった、という話を、私は今までいくつも見聞きしてきました。実際、父もそうでした。
ちょっとした転倒がきっかけで寝たきりになり、認知症を患ってしまったご高齢の方の話は、本当によく聞きます。

私の病状は、重篤なものではなかったです。
でも、朝目が覚めたら微熱が出ていて、いつまで経っても下がらない日々が突然始まると、「このまま微熱が下がらなかったらどうなるんだろう」という、ネガティブなことばかり考えてしまう。

人って、ある日突然、死んでしまうことがあるんだな。
ちょっとした発熱がきっかけで、亡くなってしまう人もいるんだな。
どういう形かはわからないけど、私もいつか必ず死ぬんだ。

コロナきっかけに、久しぶりに、ぼんやりと死を意識したのです。

それから、「今私が死んだらどうなるんだろう」という考えに及んだ時に、まず浮かんだのが、私個人で保管している物、特に写真のことでした。

一人っ子だったこともあり、母は私の写真をたくさん撮影してくれていました。昭和時代は、写真はアルバムに貼って保存するのが一般的でしたが、このアルバムが、しっかりした作りで、重いのです。
どっちかといえば整理下手だった母は、どこを撮影してるかわからない写真も、ピンボケの写真も、同じ場所・同じアングルの写真(ほぼ同じ写真)も、現像した写真全てをアルバムに貼ってました。

その結果、残されたアルバムの数が、異様に多い。

私がメインのアルバムだけで、十数冊あります。さらに、母がメインの写真、さらに、母方の先祖の写真(戦前のもの)などが貼られたアルバム、差し込み式のポケットアルバムに保管している写真もあります。
現在は、ほぼ見ないアルバムを入れた数箱の重たいダンボール箱が、押し入れのかなりの場所を占拠している状態です。

私が整理するしかない物の筆頭、それが写真類だと思ったのです。
私がいなくなった後、整理をしてくれる人が困るでしょうし、写真を貼ったままのアルバムを処分するというのは、あまり気分のよくないものだと思いますし。

他人には見られたくない写真、私ですら誰が写っているのかわからない写真もあります。
写真を取捨選択し、不要だと感じた写真は、思い切って処分しよう。

それで最近、時間がある時に取り組んでいるのが、アルバムから写真を剥がす作業。
「アルバム 写真 剥がし方」というキーワードでネット検索してヒットする、複数の記事を参考にしつつ、ドライヤーやカッターナイフなどを手に、ぼちぼちと進めています。

とにかく地道な作業です。慎重さが必要ですので、時間もかかります。
剥がす時に破れてしまったり、穴が空いたりと、失敗も多々ありますが、全ての写真を無傷で剥がすことにこだわっていないので、気が楽。「この写真はこれまでだったんだ」って思えます。
そのかわり、絶対残したい写真を剥がす時の緊張感は、半端ないです。

今回、久々にアルバムを引っ張り出しましたが、半世紀以上前のアルバムは、台紙が茶色に変色し、フィルムの粘着力もなく、ページが簡単にバラバラになり、アルバムとしての形が崩れていました。
今がまさに整理するタイミングだったのかもしれません。

剥がした写真は、アルバムごとに封筒に入れ、封筒には撮影時期を記入して保存。同時期の写真が、別々のアルバムに貼られていることもありますので、全部剥がし終わった時点で取捨選択に取りかかろうと思ってます。
選抜した写真をどう保管するかが、次の悩みどころですが、追々考えることにします。

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