最後の贈り物。

供花 雑記
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母は、7人きょうだいで、下から2番目。
母の妹に当たる叔母(以下、Kおばちゃんと記します)には、幼い頃からとてもお世話になった。

Kおばちゃんの家族は、かつて神戸に住んでいた。
我が家とは家族ぐるみの付き合いをしていて、私が幼かった頃は、Kおばちゃんの家に何度もお邪魔した。Kおばちゃん夫婦には2人の子供(以下、おにいちゃん、おねえちゃんと記します)がいて、よく遊んでもらったものだ。

幼い私にとって、おにいちゃんとおねえちゃんはとても身近な存在で、まるで実の兄姉のような感覚を持っていた。一人っ子だったので、余計にその思いが強かったのかもしれない。
彼らと会うのを心から楽しみにしていた記憶が、今も鮮明に残っている。

年月は流れ、おにいちゃんとおねえちゃんは独立し、神戸から遠く離れた場所で、それぞれ家庭を築いた。
その後、夫を亡くしたKおばちゃんは、ひとりぐらしを続けた。

我が家は、神戸の須磨在住だった伯母(母の姉・以下、Sおばちゃんと記します)夫婦とも、家族ぐるみで交流があった。
Sおばちゃん夫婦には子供がいなかったので、私が遊びに行くと、我が子のようにかわいがってもらった。

夫亡き後のSおばちゃんを、私の母があれこれ世話を焼き、母亡き後は、Kおばちゃんがそれを引き継いだ。

阪神・淡路大震災で被災したSおばちゃんの家に、定期的に通ってサポートしたのも、Sおばちゃんの最期を看取り、葬儀を仕切ったのも、空き家になった須磨の家の後始末、さらに、Sおばちゃん家の墓じまいまで済ませたのも、Kおばちゃんだった。

末っ子気質だからか、悪気はないのだけれど、空気を読まずに思ったことを包み隠さず、大きめの声で口にするので、Kおばちゃんを良く思わない親戚もいた。
私も対応に苦慮することはあったけれど、好奇心旺盛で、楽しい人だった。

ExcelやWordでの資料作り、年賀状の印刷と、パソコン操作はほぼ独学でマスターして、一通り使いこなしていたが、トラブル発生時には、なぜか私に電話をかけてくる。
Kおばちゃんが使うパソコンやプリンターの機種は知らないし、私が使ったことのないソフトの質問もされる。
試行錯誤しつつ、お相手をさせていただいたものだ。

畑仕事も好きで、小さな畑を借り、たくさんの野菜や果物を作っていた。
ひとりぐらしには多すぎる量のタマネギが届いた時は、途方に暮れたなあ。

さらに年月は流れ、高齢となったKおばちゃんは、おねえちゃん夫婦との同居を決め、神戸を離れた。

その後も、時折電話で話をした。パソコンがらみの質問が多かったけれど、世間話もあれこれした。
高齢で住み慣れた土地からの移住だから、暮らしの変化に戸惑いもあったようだ。「あっちが痛い、こっちがダルい」と、体の具合をぼやいたりもしていたけれど、元気に過ごしているようだった。
さらに、お中元やお歳暮まで贈ってくれるようになった。

ずっと独身でひとりぐらしを続けていた私のことを、とても心配してくれていたので、結婚報告の電話をした時は、とても喜んでくれた。

数年前、お歳暮のお礼を言おうと携帯に電話すると、つながらない。
同居しているおねえちゃんに電話をすると、Kおばちゃんは長期入院中で、携帯も解約したとのことだった。
お歳暮も、Kおばちゃんの依頼で、おねえちゃんが代理で送ってくれていたのだった。

おねえちゃんが送ってくれるKおばちゃんからのお歳暮は、それからも毎年欠かさず届き、お礼と共に、Kおばちゃんの近況を確認するために、おねえちゃんに電話をする年が続いた。

数週間前のこと。
おにいちゃんから、Kおばちゃんの訃報を知らせる電話がかかってきた。

Kおばちゃんが暮らしていたのは、私が住む大阪から遠く離れた場所。
葬儀には参列できないけれど、せめて花だけでも供えられたら。

おにいちゃんにそう申し出ると、きっぱりと断られた。

家族葬を営むこと。
Kおばちゃんが亡くなったことを、誰にも知らせるつもりはないこと。
私にも知らせないでおこうと思ったが、生前親しく交流していたことを聞いていたし、お世話にもなったので、特別に知らせたこと。

そう伝えられると、私はもう、何も言えなかった。

Kおばちゃんは、私の母の葬儀はもちろん、父の葬儀や四十九日法要、納骨時にも参列してくれた。
だから、いつか来るお別れの時は、葬儀への参列は無理でも、何らかの形で弔意を示したいと思っていた。

でも実際は、電話を通じてでしか、弔意を示すことが許されなかった。

私はKおばちゃんの家族じゃない。おにいちゃんとおねえちゃんは、Kおばちゃんを心静かに見送りたかったのだろう。
それに私は遠方住まいだし、余計な気を遣わせたくないという、おにいちゃんの配慮だと思う。

でも、「家族葬だから」という言葉、さらに、「当初は知らせるつもりはなかった」という言葉で、おにいちゃんとおねえちゃんから拒絶されたような感じもした。

おにいちゃんとおねえちゃんとの思い出は、私にとってかけがえのないものとして、今でも私の心に深く刻まれている、のに。

誰も何も悪くないのに、生じてしまった心のもやもや。
悲しいような、悔しいような、むなしいような、そんな思いを、私はどうやって払えばいいのだろう。
訃報を聞いた夜は、いろいろ考えて、なかなか寝付けなかった。

もやもやを抱えたまま過ごした数日後、ふとこう思った。

Kおばちゃんが亡くなった日は、私の母の月命日。
Kおばちゃんが亡くなった日の翌日は、私の母の誕生日。

私にとっては、Kおばちゃんの命日は、忘れようのない日。

Kおばちゃんは私に、記憶の贈り物を最後にくれたんだ。
ああ、これだ、これがいい。

Kおばちゃんとのたくさんの思い出や、寂しさを抱えていた幼い私と遊んでくれた、おにいちゃんとおねえちゃんとの思い出は、私だけのもの。
おにいちゃんとおねえちゃんは、また違う思い出を抱いていて、そこに私はきっといないから、供花も辞退されたんだ。

Kおばちゃんが私だけにくれた最後の贈り物は、得体の知れないもやもやを、きっと払ってくれる。

そう思えた。

ここ数十年、Kおばちゃんを通じてでしか、おにいちゃんとおねえちゃんとは交流がなかった。
たぶん今後は、彼らと交流を持つことはないだろうし、本当に「遠くの親戚」になるだろう。

でも、きっと、それでいいんだよね。

Kおばちゃんに会いに行こうと、ダンナが旅行の計画を立ててくれていたのだけれど、実現直前にコロナ禍となり、会えずじまい。
コロナさえなければ、行けてたのにな。会っておきたかったな。

これで、母のきょうだいたちは、みな亡くなったことになる。
母のきょうだいは、いざこざが多かったので、またあっちで言い争いしてるかな。

Kおばちゃんは、夫であるおじちゃんに会えたかな。

Kおばちゃん、今までありがとうね。
またいつか、会おうね。

コメント

  1. ももいろペリカン より:

    何度も読み返してしまいました。
    大切な人を亡くした時
    今まで見えなかったことが見えてきたりすることありますね。
    感慨深いです。

    • ひー ひー より:

      ありがとうございます。
      このおばちゃんにしても、両親にしても、亡くなってから感じることが多すぎて。
      まとめるのに苦戦しましたが、書けてよかったです。

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