私とダンナは、同じ高校の卒業生です。
ダンナは在学中、青春を全て捧げたと言っても過言ではないほど、クラブ活動にどっぷり浸かっていました。
クラブを通じて知り合った友人とは、卒業後も交流が続いていたようです。
翻って私は、帰宅部。
母、そして、我が家の近所に住んでいた母方の祖母の考えは、「学校は勉強をする場所。クラブは遊びだから不要。授業が終わったら早く帰ってこい」というものでした。
小学生の頃、クラスで発足したクラブ活動参加について、担任と我が家とで一悶着あり、私は必修クラブ以外のクラブには所属しないと決めたのです。
さすがに高校生ともなると、放課後に友だちとバカ騒ぎしたり、恋バナに花を咲かせたりして、すぐに家に帰ってはいませんでしたけどね。
まあ、それは置いといて。
私達が卒業してから、ずいぶん年月が経った頃、母校は近隣の高校と併合する形で閉校。
閉校はしたものの、今年は、母校創立50周年のメモリアルイヤー。
ダンナが所属していたクラブも記念行事を開催、それをきっかけに部員のLINEグループが複数でき、途切れていた友人たちとのつながりも復活。行方がわからなかった部員たちが、SNSを通じて発見されていくのも、時代ですね。
還暦前のおっちゃんおばちゃんとなった同期部員との宴会は、毎回大盛り上がりしているようです。
宴会の様子を楽しそうに聞かせてくれるダンナの様子を見ていると、うらやましさと同時に、私はいったい若い頃に何をしていたんだろうという、空しさみたいなものを感じます。
クラブ活動に限らず、10代~20代のひととき、同じ趣味や目標にがっつり向き合った経験があること。
その楽しさやしんどさを分かち合う友だちを得たこと。
若い頃にしか得られない、「何物にも代えがたい、かけがえのない宝物」を、ダンナは確かに持っている。
それはきっと、彼が持つ確固たる意思に素直に従い、自由に生きていたからでしょう。
でも、若い頃の私は、自分の意思で自由に生きることを選ばなかった。
決して良いとはいえなかった家庭内の雰囲気を、なるべく穏便に保つよう、私にできることは、自分の思考を停止し、たとえ自分の意思があっても、やたらと口にしないこと。
自分を押し殺し、親の思考や行動に全てを委ねておけば、全て他人事にできる。自分の気持ちも、家の中の雰囲気も乱れない。
今振り返ると、若い頃の私は、意思のない浮き草のように、ぷかぷか漂うように生きていました。
面倒なことからはスルリと抜け、立ち向かうべきことからは逃げ、適当な言い訳を作って、楽な方に進んでました。
親の意向に逆らうような進路を選びましたが、それすらも、逃げでした。
それが、10代から20代の頃の私の、生きる術でした。
そうしていなければ、たぶん私は、今頃この世にはいないか、心を病んでいたでしょう。
ただ、生きるためとはいえ、長年自分を押し殺してきた弊害も大きかった。
そのひとつが、ダンナが持っている「何物にも代えがたい、かけがえのない宝物」を、手に入れられなかったこと。
誰のせいでもない、自分が選んだことなのに、うらやましくて悔しくて、仕方がない。
今さら思っても詮無いことで、この年になっても、鈍い痛みが消えません。
たぶん、いえきっと、一生消えることはないのでしょう。
もしあの頃の私に、今の私が声を掛けるとしたら、「もっと自由に生きて」って言うと思います。
コメント
そういうひーさんだからこそ、だんな様の良さがよくわかるということもあるのでしょう。
ちなみにわたしも夫とは小中高と同じ学校です。(その間2度同じクラスになりました)
後になりましたが、明けましておめでとうございます。
杉やんの電子書籍化、気長に待ってます。
あけましておめでとうございます。コメント、ありがとうございます。
ダンナの良さは、今のこの年齢だから理解できるのかもしれない。もし、もっと若くで結婚してたらダメだったかも。
ちなみに私も、ダンナとは中学も同じで、中学時代は2度クラスが一緒でした。
すぎやん、なんとか頑張ります。お待たせしてスミマセン<(_ _)>